日本経済新聞 2025年9月19日(金曜日)朝刊春秋の要約と日本文化の普遍性
仕事で行った関東の小都市の駅で帰りの電車を待っていたら近くにいたお母さんがだだをこねる子供に「そんなにいうことをきかないと鬼になるよ」と言っていた。いまどきの人はこんな叱り方をするのかとちょっと面白く思った。言わずと知れた「鬼滅の刃」である。
日常にもこうして顔を出すのはこの作品が鬼との息詰まる戦いの活劇にとどまらず、登場するキャラクター一人ひとりを立体的に描く人間ドラマの力を持っているからだろう。戦いの場面の境地も深く、劇場版最新作である「無限城編 第一章 猗窩座(あかざ)再来」で追い求める「透き通る世界」は禅の白骨観などを連想させる。
はじめに:なぜ今、「鬼滅の刃」が世界で愛されるの?
街中で「鬼になるよ!」という親子のやり取りを聞いて、思わず微笑んでしまう。それはきっと、私たちの中に「鬼滅の刃」という作品が、すっかり生活の一部として溶け込んでいる証拠ですよね。単なるアニメや漫画の枠を超えて、社会現象になっているこの作品。でも、この人気が日本だけにとどまらず、今、海を越えて世界中で熱狂的に迎えられているってご存知でしたか?
特に驚きなのが、最新の劇場版「無限城編 第一章 猗窩座再来」が、公開された北米で歴代トップクラスの興行収入を記録していること。これまで日本のアニメといえば、どちらかというと特定のファン層に人気があるイメージでしたが、「鬼滅の刃」はそれをはるかに超えた広がりを見せています。
この記事では、そんな「鬼滅の刃」の世界的ヒットの秘密を、作品の持つ魅力や、根底にある日本文化の要素から紐解いていきます。
鬼滅の刃の世界へようこそ:知らない人のための基本情報
もし「鬼滅の刃」のことをまだよく知らない方がいたら、まずは簡単に作品の世界観をご紹介させてください。
物語の舞台は、日本がまだ大正時代だった頃。心優しい少年、竈門炭治郎(かまど・たんじろう)は、家族を鬼に惨殺され、唯一生き残った妹の禰豆子(ねずこ)も鬼に変えられてしまいます。
炭治郎は、妹を人間に戻すことと、家族を殺した鬼を討つために「鬼殺隊(きさつたい)」という組織に入り、鬼と戦う旅に出るんです。
登場人物たちが個性豊かで、それぞれに深い過去や思いを抱えているのがこの作品の大きな魅力。ただの勧善懲悪の物語ではない、人間の心の奥底にある葛藤や成長が丁寧に描かれています。
なぜ海外でも人気なの?:国境を越える作品の力
では、なぜ「鬼滅の刃」はこれほどまでに、言葉や文化の壁を越えて、世界中の人々の心をつかむのでしょうか。その秘密はいくつか考えられます。
1. 圧倒的な映像美とアクション
まずは、何といってもその映像の美しさです。特にアニメ版は、ufotableという制作会社が手掛けていて、息をのむような美しい作画と、迫力満点のアクションシーンが特徴です。
戦闘シーンで使われる「水の呼吸」や「炎の呼吸」といった技が、まるで浮世絵のように描かれる演出は、海外の視聴者にも新鮮で、視覚的に強く訴えかける力を持っています。言葉がわからなくても、映像を見るだけでそのすごさが伝わるんです。
2. 普遍的なテーマ:家族愛、友情、そして葛藤
「鬼滅の刃」の根底には、誰にとっても共感できる普遍的なテーマがあります。
- 家族の絆: 炭治郎が妹の禰豆子を救うために奮闘する姿は、どんな文化圏の人々でも感動を覚えるでしょう。
- 仲間との友情: 鬼殺隊の仲間たちと力を合わせ、苦難を乗り越えていく姿は、友情の大切さを教えてくれます。
- 正義と葛藤: 鬼と化した人々の中にも、悲しい過去や人間だった頃の記憶がある。単に「悪い鬼を倒す」だけではなく、鬼の悲哀にも寄り添う物語の深さが、大人の視聴者をも惹きつけます。
これらのテーマは、国や文化を超えて、誰もが共感できる人間の心そのものです。
3. 登場人物の魅力:誰もが感情移入できるキャラクターたち
個性豊かなキャラクターたちも、人気の大きな理由です。
- 主人公・炭治郎: 誰にでも優しく、まっすぐな心を持った少年。彼の努力と誠実な姿に、多くの人が心を動かされます。
- 我妻善逸(あがつま・ぜんいつ): 普段は臆病で泣き虫だけど、いざという時には秘めた力を発揮するギャップが魅力的。
- 嘴平伊之助(はしびら・いのすけ): 猪の被り物をかぶった破天荒な性格だけど、どこか憎めない愛されキャラ。
それぞれが完璧ではないからこそ、視聴者は彼らに自分を重ね合わせ、感情移入しやすくなります。
「鬼滅の刃」に息づく日本文化:禅や儒教、剣術の世界

コラムにもあったように、「鬼滅の刃」は、単に娯楽作品として面白いだけでなく、日本の伝統的な文化や思想が深く根ざしています。これは、海外の人々にとって、単なるアニメの鑑賞を超えた、異文化との出会いにもなっているようです。
1. 「透き通る世界」と禅の思想
最新作の「無限城編」で、主人公たちが目指す境地として描かれる「透き通る世界」。これは、作中でも非常に重要なキーワードとなっています。
この「透き通る世界」とは、一体どんなものなのでしょうか。
作中では、五感を超越し、相手の体の動きや思考まで見通せるような状態として描かれています。これは、剣術の奥義とも言える境地で、自分自身を無にし、すべてを受け入れることで到達できるものとされています。
この考え方は、日本の禅(ぜん)の思想と深く結びついています。禅では、日々の瞑想などを通じて、雑念を取り払い、心を無の状態にすることを目指します。
特に、コラムにもあった「白骨観(はっこつかん)」は、自分の体が最終的に白骨になることを想像し、肉体への執着を捨てるという禅の修行法です。この思想は、死と向き合いながら戦う鬼殺隊の隊士たちの心境と重なる部分があると言えるでしょう。
2. 儒教的な道徳観
物語の根底には、儒教(じゅきょう)的な道徳観が流れています。儒教とは、中国から伝わった思想で、目上の人を敬い、家族を大切にし、社会の秩序を重んじる教えです。
- 家族への孝行: 炭治郎が家族の仇を討つために戦う姿は、儒教の「孝(こう)」の精神そのものです。
- 師弟関係: 鬼殺隊の柱たちが、後輩を指導し、守ろうとする姿は、師弟関係を重んじる日本の伝統的な価値観を表しています。
このような思想は、日本の文化に深く根付いており、作品を通して自然と海外にも伝わっているのです。
日本の文化が世界で受け入れられる理由:鬼滅だけじゃない!
「鬼滅の刃」の世界的ヒットは、単なる一過性のブームではなく、日本の文化が持つ普遍性が世界に受け入れられていることの表れかもしれません。
日経新聞のコラムでも触れられていた、柚木麻子さんの小説「BUTTER」が英語に翻訳され、海外で大ヒットしたことも、その潮目の変化を象徴しているように感じます。
なぜ、これまで「無国籍」な作品が人気だったのに、日本の色濃い作品が受け入れられるようになったのでしょうか。
1. 多様性への理解の広がり
現代社会では、SNSなどを通じて、世界の様々な文化に触れる機会が増えました。これにより、人々は「自分たちとは違うもの」を恐れるのではなく、面白がり、受け入れる多様な価値観を持つようになりました。
日本独自の文化や世界観も、「変わったもの」ではなく、「魅力的な異文化」として捉えられるようになったのでしょう。
2. ストーリーテリングの巧みさ
日本の作品は、物語の語り方が非常に丁寧で、キャラクターの心理描写が深いのが特徴です。これは、漫画やアニメだけでなく、小説や映画にも共通しています。
「鬼滅の刃」もそうですが、単に派手なアクションを見せるだけでなく、キャラクター一人ひとりの内面を深く掘り下げることで、視聴者は物語に強く感情移入することができます。このストーリーテリングの巧みさが、国境を越える力になっているのです。
3. 美意識の共感
日本の美意識である「わび・さび」や「もののあはれ」といった概念も、作品を通じて海外の人々に伝わっています。
「鬼滅の刃」の、はかなくも美しい水の呼吸の表現や、鬼の悲しい過去を描くことで生まれる哀愁は、そうした日本的な美意識の共感を呼んでいるのかもしれません。
まとめ:日本文化の普遍性が示す未来

「鬼滅の刃」が海外で大ヒットしているのは、単なる偶然ではありません。その背景には、作品の持つ圧倒的な映像美や、普遍的なテーマ、そして、深く根ざした日本文化の魅力があります。
これまで、日本の文化は「独特で、海外には理解されにくい」と思われがちでしたが、実はそこにこそ、世界中の人々の心に響く普遍性が秘められていたのかもしれません。
「鬼滅の刃」は、日本の文化が持つ計り知れない可能性を、私たちに改めて教えてくれているようです。この波は、これからもきっと、日本の様々な文化を世界へと広げていくことでしょう。私たちが当たり前だと思っていたものが、世界の誰かにとって、新鮮で感動的な宝物になる。そんな未来が、すぐそこまで来ているように感じます。