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嵐山光三郎 —— 伝説の編集者が語る「下り坂の極意」と、盟友・安西水丸との日々

こんにちは。今日は、私がずっと憧れている、ある「粋な大人」についてお話しさせてください。

その人の名は、嵐山光三郎さん。

もしかしたら、テレビでコメンテーターをされていた姿や、本屋さんで『文人悪食』というタイトルを見かけたことがあるかもしれませんね。でも、彼が実は「伝説の編集者」だったことや、あのイラストレーター・安西水丸さんを世に出した張本人だったこと、ご存知でしたか?

今日は、そんな嵐山光三郎さんの、ちょっと意外で、でもすごく人間味あふれる人生の物語を、友人に話すような気持ちで書いてみたいと思います。彼の生き方を知ると、なんだか肩の荷が降りて、これからの人生が少し楽しみになる。そんな不思議な魅力があるんです。

まずは、彼が一体どんな人物なのか、ざっくりと整理してみましょう

目次

嵐山光三郎とは? —— 編集者、作家、そして自由人

嵐山さんは、一言で表現するのがとても難しい方です。作家であり、エッセイストであり、かつては名編集長でもありました。そして何より、美味しいものと温泉と旅を愛する「現代の風流人」です。

少し情報を整理しますね。

項目内容
名前嵐山 光三郎(あらしやま こうざぶろう)
本名祐乗坊 誠(ゆうじょうぼう まこと)
生年月日1942年(昭和17年)1月10日
出身東京都
主なキャリア平凡社『太陽』編集長 → 独立 → 作家・エッセイスト
代表作『文人悪食』『素人庖丁記』『悪党芭蕉』『爺の流儀』など

本名の「祐乗坊(ゆうじょうぼう)」って、すごく珍しいお名前ですよね。なんだか歴史を感じさせる響きです。

彼は東京大学を卒業後、出版社である平凡社に入社します。そこから彼の「伝説」が始まるわけですが、ただのエリート街道ではありませんでした。むしろ、波乱万丈。でも、その波乱をひょうひょうと乗り越えていく姿が、今の私たちに「組織の中で、あるいは組織を離れてどう生きるか」というヒントをくれるんです。

では、時計の針を少し戻して、若き日の嵐山さんが駆け抜けた「熱い時代」を覗いてみましょう。

伝説の編集者時代:平凡社『太陽』と1981年の決断

嵐山さんを語る上で欠かせないのが、平凡社という出版社での編集者時代です。

実は、私がリサーチした資料(当時の同僚であった鷲巣力さんの証言など)によると、嵐山さんの入社経緯からしてユニークなんです。東大卒業後、平凡社に「滑り止め」で入社されたそうですが、当時の平凡社は「アナーキー(無秩序)」で自由な社風だったとか。それが、彼の肌に合ったんですね。

雑誌『太陽』での活躍と葛藤

彼は、日本のビジュアル雑誌の金字塔とも言える『太陽』の編集部に配属されます。そこで副編集長、編集長を歴任し、出版界の黄金期を支えました。

編集者時代の彼は、まさに「ならしべ編集者」とも呼べるスタイルでした。どういうことかと言うと、取材先で得た人脈やネタを、次の企画へとわらしべ長者のように繋げていったんです。

例えば、作家の林達夫さんの著作集を編纂したり、加藤周一さんの仕事を間近で見たり。こうした「知の巨人」たちとの仕事が、後の作家・嵐山光三郎の知性の土台を作ったことは間違いありません。編集者修行とは「盗み聞き」と「見様見真似」である、と彼自身も振り返っています。

人生の転機となった「1981年」

順風満帆に見えた編集者人生ですが、40歳を目前にした1981年、大きな転機が訪れます。これが、彼の人生を決定づける「第1次経営危機」と「退社」です。

ここ、少し難しい話に聞こえるかもしれませんが、働く私たちにとっても共感できるポイントなんです。

当時、平凡社は大百科事典の販売不振などから経営が悪化していました。会社を立て直すために人員削減や労働条件の切り下げが行われ、労働組合と会社側が激しく対立したんです。嵐山さんは当時、組合の書記長などを務め、会社側と対峙する立場にもありました。

でも、彼は気づいてしまったんです。「経済闘争中心の活動への違和感」や「生産的な議論の欠如」に。

  • 会社のために戦うことの消耗
  • 役員会で自分の意見が通らなくなる閉塞感
  • 「出版活動の場を確保すること」こそが大事だという信念

これらが積み重なり、彼は1982年、ついに退社を決意します。「組織に残って戦う」のではなく、「外に出て自分の表現の場を作る」ことを選んだのです。

もし今、あなたが仕事や組織の人間関係で悩んでいるとしたら、この時の嵐山さんの決断は勇気をくれるかもしれません。彼は会社を辞めることを「逃げ」ではなく、「新しい自由へのチケット」に変えたのですから。

盟友・安西水丸との出会いと「引き抜き」秘話

さて、ここで少しほっこりするお話をしましょう。嵐山光三郎さんを語る上で、切っても切り離せない存在がいます。

イラストレーターの故・安西水丸さんです。

村上春樹さんの小説の表紙や挿絵でおなじみの、あの独特な「ヘタウマ」とも言われる温かいイラストを描く方ですね。

実は、安西水丸さんがイラストレーターになったのは、嵐山さんの一言がきっかけだったってご存知でしたか?

運命のスカウト

当時、安西さんは平凡社で「アートディレクター(AD)」として働いていました。ADというのは、デザインの方向性を決めたりデザイナーに指示を出したりする仕事で、自分で絵を描く仕事ではありません。

でも、嵐山さんは安西さんの机の端っこやメモ書きに描かれた、あの独特な落書きのような絵を見て、直感したそうです。

「あんた、絵を描いたほうがいいよ」

そして、嵐山さんが独立する際、なんと安西さんも一緒に平凡社を辞めてしまったんです。まさに「嵐山光三郎に誘われたから」という理由で。もし嵐山さんがいなかったら、私たちは村上春樹さんと安西水丸さんのあの名コンビ作品を見ることはなかったかもしれません。

二人はその後も、公私ともに盟友として付き合い続けました。一緒に旅をし、美味しいものを食べ、くだらない話で笑い合う。大人の男同士の友情って、なんだか羨ましいですよね。

作家・嵐山光三郎の仕事:「文人悪食」から「素人庖丁」まで

独立後の嵐山さんは、堰を切ったように書き始めます。彼の作品には大きく分けて2つの柱があります。「文人への鋭い視線」と「生活を楽しむ視線」です。

1. 偉人を丸裸にする『文人悪食』

嵐山さんの名前を一躍有名にしたのが、『文人悪食(ぶんじんあくじき)』という本です。

この本の何がすごいかと言うと、夏目漱石や太宰治といった、教科書に出てくるような「偉い作家」たちを、「何を食べていたか」という視点から丸裸にしてしまったところです。

例えば、夏目漱石。彼は胃弱で有名でしたが、実は大変な甘党で、ジャムを缶ごと舐めるほどの偏食家だった…とか。

「何を食べて、どう死んだか」を調べることで、高尚な文学論よりもずっとリアルに、その作家の「人間性」や「業(ごう)」を浮き彫りにしたんです。

読者は思いました。「あ、文豪も私たちと同じ人間なんだ」と。

この「権威を笑い飛ばす」「聖人を人間に引き戻す」というスタンスは、後の『悪党芭蕉』(松尾芭蕉を戦略家として描いた作品)などにも通底しています。

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2. 男の料理を広めた『素人庖丁』

もう一つの柱が、料理です。

今でこそ「料理男子」なんて言葉は当たり前ですが、昭和の終わり頃、男性が台所に立つのはまだ珍しいことでした。

そんな中、嵐山さんは『素人庖丁記』などのエッセイで、「男が作る料理の楽しさ」を説きました。プロのように綺麗に作る必要はない。自分の好きな具材を、好きなように切って、煮込んで、酒の肴にする。それが楽しいんだ、と。

特に「嵐山カレー」と呼ばれる彼のカレーレシピは有名です。何日もかけて煮込み、スパイスにこだわる。それは家事労働としての料理ではなく、大人の最高の「遊び」なんですよね。

「下手でもいいから、自分でやってみる」。この精神は、料理だけでなく、彼の生き方そのもののように感じます。

現代の「老い」を楽しむ哲学

そして現在、80代を迎えた嵐山さんは、また新しい境地に達しています。

それが、『爺の流儀』や『追悼の達人』といった最近の著書に見られる「老い」との向き合い方です。

「下り坂」こそ絶景である

私たちはどうしても「老い」をネガティブなもの、何かが失われていく過程として捉えがちです。体は動かなくなるし、友人は亡くなっていくし、寂しいことばかりのように思えます。

でも、嵐山さんはこう言います。

「人生の上り坂はキツイばかりで景色を見る余裕なんてない。でも、下り坂はいいぞ。楽だし、景色がよく見える」

これを「下り坂の極意」と彼は呼んでいます。

無理に若作りをして抗うのではなく、老いを素直に受け入れて、その分、今まで見落としていた道端の花や、人の情けを味わう。

晩年、彼は「飄々(ひょうひょう)」という言葉が誰よりも似合う存在になりました。

若い頃に激しい労働争議や編集の現場を戦い抜いたからこそ、たどり着いた「凪(なぎ)」のような心境なのかもしれません。

今、彼が執筆を続けている姿そのものが、私たち後輩への「大丈夫、歳をとるのも悪くないよ」というメッセージになっています。

まとめ:組織から飛び出し、自由に生きるヒント

ここまで、嵐山光三郎さんという人物を、編集者時代から現在に至るまで追いかけてきました。

彼が魅力的なのは、決して「最初から自由人だったわけではない」という点です。

組織の中で揉まれ、人間関係に悩み、理不尽なこととも戦った。その上で、「やっぱり自分はこっちだ」と舵を切って、自分の足で歩き出した人なんです。

  • 行き詰まったら、場所を変えてもいい(1981年の退社)
  • 才能ある友人を大切にする(安西水丸さんとの関係)
  • 偉い人を崇めるより、人間の面白さを愛する(『文人悪食』)
  • 老いることを恐れず、下り坂の景色を楽しむ

嵐山さんの人生には、私たちがこれからの時代を軽やかに生きるためのヒントがたくさん詰まっています。

もし、あなたが本屋さんに行く機会があったら、ぜひ彼のエッセイを手に取ってみてください。

堅苦しいことは一切書いてありません。「今日はカツ丼が美味かった」とか「温泉で昼寝をした」とか、そんな話ばかりかもしれません。

でも、読み終わった後、きっと心が少し軽くなっているはずです。「ああ、人生って、もっと適当に、楽しくやっていいんだな」って。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。今夜は嵐山さんに倣って、好きなものを作って、ゆっくりお酒でも飲んでみませんか?

ちなみに……嵐山さんのエッセイを読んでいると、なんだか無性に「美味しいカレー」が作りたくなってきませんか?(笑)

彼が提唱する「素人庖丁」の醍醐味は、効率を無視して、ただひたすらに自分の好みを追求すること。 玉ねぎを飴色になるまで炒めたり、何種類ものスパイスを調合したり……そんな「無駄」とも思える時間が、実は最高の贅沢だったりするんですよね。

「今度の週末は、ちょっとこだわってみようかな」 そんな気分になった時にぴったりなのが、こちらの本格スパイスセットです。

スーパーのカレールーも美味しいけれど、たまには実験気分で、自分だけの味を探す「大人の泥遊び」を楽しんでみてはいかがでしょうか? キッチンに漂うスパイスの香りで、旅をしているような気分になれますよ。

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