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広島と長崎の原爆は何が違う?2種類が使われた理由とは

広島 長崎 原爆 違いを調べる女性の驚いた表情、資料に見入るシーン

この記事が30秒でわかる3行

  • 広島の「リトルボーイ」はウラン型、長崎の「ファットマン」はプルトニウム型で、燃料も起爆の仕組みも別物だった
  • プルトニウムの不純物のせいで単純な方式が使えず、爆縮方式という超高難度の技術を採用せざるを得なかった
  • 長崎投下は本来の目標・小倉の視界不良と燃料危機が重なった結果で、「人体実験説」は史実とは異なる面が大きい
広島 長崎 原爆 違いを調べる女性の驚いた表情、資料に見入るシーン

社会科の授業で習った「広島と長崎に原爆が落とされた」という一文。私、恥ずかしながら最近まで「同じ種類の爆弾が2回落とされた」んだと思い込んでいました。でも調べてみたら全然違った。広島の「リトルボーイ」と長崎の「ファットマン」は、燃料も仕組みも別物の兵器だったんです。しかも、なぜわずか3日という短い間隔で2種類とも使われたのか。そこには、単純な話では片付けられない技術的な事情と、切羽詰まった外交判断が絡み合っていました。

私は今回、平和記念日が近づくタイミングで改めて原爆について調べようと思い立ちました。きっかけは、ニュースで「広島と長崎の被爆者数の違い」を見て「同じ威力の爆弾なのに、なぜこんなに差があるんだろう」と単純に疑問に思ったことでした。調べ始めてみると、そもそも「同じ威力の爆弾」という前提自体が間違っていたことにすぐ気づかされました。この記事では、私が実際に一次資料や研究をたどりながら「へえ、そうだったんだ」と驚いた事実を、順番に共有していきます。

目次

そもそも広島と長崎、爆弾の中身がこんなに違った

リトルボーイとファットマンの構造の違いを示す資料イラスト

まず私が一番驚いたのがここです。「原爆」とひとくくりにされがちですが、燃料そのものが別物でした。

ウラン型とプルトニウム型、燃料からして別物

広島に落とされた「リトルボーイ」は高濃縮ウラン235を約64kg使ったウラン型。長さ3.0m、直径0.71mの細長い円筒形でした。一方、長崎の「ファットマン」はプルトニウム239をたった約6.2kgしか使わない代わりに、丸くずんぐりした形(長さ3.3m、直径1.5m)をしています。燃料の量だけ見るとファットマンの方が圧倒的に少ないのに、威力はファットマンの方が高い(21ktに対しリトルボーイは15kt)というのも意外でした。

起爆方式もまったくの別物だった

リトルボーイは「ガンバレル(砲身)型」といって、筒の中でウランの塊を撃ち込んで臨界に到達させるシンプルな仕組み。対してファットマンは「インプロージョン(爆縮)型」という、球状のプルトニウムを周囲から均等に爆縮して圧縮する、当時としては超高難度の技術でした。私はここで「なんでわざわざ難しい方式を採用したんだろう」と疑問に思ったのですが、これには避けられない物理的な理由があったんです。

点火装置まで別物だった

細かい部分ですが、点火の仕組みも全然違いました。リトルボーイはウランの塊同士がぶつかりさえすれば自然に発生する中性子で連鎖反応が始まるので、特別な点火装置は不要。一方ファットマンには「アーチン」と呼ばれる直径わずか20mmの中性子点火器が内蔵されていて、ポロニウムとベリリウムを爆縮の衝撃波が来た瞬間に混ぜ合わせ、強烈な中性子を発生させて連鎖反応の引き金にする仕組みでした。私はこの直径20mmという小ささに、当時の技術者たちの精密さへのこだわりを感じました。信管も両方の爆弾に搭載されていて、レーダー高度計や気圧計、タイマーを組み合わせた複合式で、指定した高度で確実に起爆するよう何重にも安全策が取られていたそうです。地上ではなく上空で爆発させることで被害範囲を最大化する狙いがあったと知り、兵器としての設計思想の徹底ぶりに複雑な気持ちになりました。

なぜ簡単な方式(ガンバレル型)を両方に使わなかったのか

プルトニウムの不純物と自発核分裂の様子を示すイラスト

プルトニウムには使えない致命的な理由があった

1944年4月、科学者エミリオ・セグレのチームが、原子炉で作られたプルトニウムに「プルトニウム240」という不純物が予想以上に多く含まれることを発見しました。このプルトニウム240、自発的に核分裂を起こしやすい性質があって、ガンバレル型で使うと2つの塊が完全にくっつく前に爆発が始まってしまい、ほとんど威力のない「不発」に近い爆発(フィズル)になってしまうことがわかったんです。だから、プルトニウムだけは「爆縮方式」という、瞬時に周囲から均等に圧力をかける全く別のアプローチを取らざるを得ませんでした。

じゃあ最初からウランだけ使えばよかったのでは?

私も最初そう思ったのですが、答えは「ウランの生産効率が絶望的に悪かったから」でした。オークリッジの巨大施設をフル稼働させても、1945年7月時点でようやく爆弾1発分(約64kg)のウランしか確保できていなかったそうです。一方プルトニウムは原子炉で比較的短期間に量産できる。つまり「確実だけど作るのに時間がかかるウラン型」と「作るのは難しいけど量産できるプルトニウム型」、両方の保険をかけて開発を進めるしかなかった、というのが実情でした。

爆縮レンズという「32個のパズル」

私が個人的に一番「よくこんなの実現できたな」と思ったのが、ファットマンの心臓部にある爆縮レンズです。燃焼スピードの違う爆薬を32個組み合わせて球体を作り、外側から均等に爆圧をかけてプルトニウムを一気に圧縮する仕組みなのですが、どれか1つでも点火のタイミングが数マイクロ秒ずれるとプルトニウムのコアが片側に押し出されてしまい、まともに爆発しません。全ての雷管を100万分の1秒単位で同時に起爆させる特殊なコンデンサ装置まで開発したというのですから、当時の技術者たちの執念のようなものを感じます。

なぜ広島型は実験なしで、長崎型だけ事前に実験されたのか

1945年7月のトリニティ実験を思わせる砂漠の閃光のイラスト

リトルボーイはぶっつけ本番だった

これも私にとって意外な事実でした。広島に投下されたウラン型は、事前の核実験を一度も行わずにいきなり実戦投入されたそうです。理由は2つ。1つは、貴重なウランを実験で使ってしまうと実戦用の分がなくなってしまうこと。もう1つは、ガンバレル型の仕組みがシンプルすぎて「理論計算だけでほぼ確実に成功する」と科学者たちが確信していたことです。

ファットマンだけは実験が絶対条件だった

一方のプルトニウム型は、32個の爆縮レンズを100万分の1秒単位で完璧に同時起爆させないと成功しない超精密機構。「実戦でいきなり試すのは不可能」というのが軍と科学者の共通認識だったため、1945年7月16日、ニューメキシコ州で「トリニティ実験」が行われ、成功が確認されてから初めて実戦配備が決まりました。私は「実験してから使う爆弾」と「ぶっつけ本番の爆弾」が同時進行していたという事実に、当時の切迫した空気を感じました。

実際に試算してみた:ウランとプルトニウム、生産効率をざっくり計算してみた

ここで私も一次資料の数字を使って自分なりに試算してみました。オークリッジの濃縮施設の投資額は約11億8,800万ドルで、得られたウランはわずか爆弾1発分(64kg)。単純計算で1kgあたり約1,856万ドルの投資がかかっていたことになります(11億8,800万ドル÷64kg)。一方、ハンフォードのプルトニウム生産施設は約3億9,000万ドルの投資で、ファットマン1発分(6.2kg)どころか実験用も含め複数発分を用意できる生産力があったとされています。仮に実験用+実戦用の2発分(約12.4kg)だとすると、1kgあたり約3,145万ドル。数字だけ見るとプルトニウムの方が割高にも見えますが、量産スピードの面ではプルトニウムの方が圧倒的に有利だった、というのが当時の判断だったわけです。数字を自分で並べてみると、なぜ両方を並行開発せざるを得なかったのか、肌感覚で理解できた気がします。

幻の「3発目」の原爆があった

これは調べていて一番背筋が寒くなった話です。もし日本が降伏していなければ、第3のプルトニウムコアはすでに用意されていて、8月19日頃に小倉か東京へ投下される計画が実際に進んでいたそうです。日本の降伏を受けてトルーマン大統領が投下中止の命令を出したため実戦では使われませんでしたが、このコアは戦後の臨界実験中に2人の科学者が相次いで被曝死する事故を引き起こし、「デーモン・コア(悪魔のコア)」と呼ばれるようになりました。歴史のifを考えると、本当にぞっとします。

目標都市はどう決まった?京都が外れた本当の理由

地図を見ながら目標都市を検討する様子のイラスト

そもそも目標都市の条件が独特だった

目標選定委員会が候補都市に求めた条件を知って、私は複雑な気持ちになりました。ある程度の広さの市街地を持っていること、爆風の広がり方を正確に測れる平らな土地であること、そしてそれまで大きな空襲を受けていないこと。つまり、すでに焼け野原になっていた都市は最初から候補にすら入れなかったということです。私はこれを知って、「破壊力を正確に測定するため」という、あまりに冷徹な計算が最初から働いていたことにゾッとしました。

京都が最有力候補から外された

実は当初、原爆投下の最有力候補は京都でした。盆地状の地形で爆風が逃げにくく、破壊効果を測定しやすいと評価されていたんです。でもヘンリー・スティムソン陸軍長官が強く反対し、最終的にリストから完全に外されました。表向きは文化財保護でしたが、本質的には「京都を破壊すると戦後の対日感情が決定的に悪化し、日本をソ連陣営に追いやりかねない」という政治的な配慮だったとされています。

長崎は土壇場で追加された都市だった

京都が外れたことで、代わりに追加されたのが長崎でした。地形が起伏に富んでいて爆風効果が限定的という理由で、実は当初のリストには入っていなかったそうです。それが土壇場で候補に加わり、結果的に投下対象になった。この経緯を知ったとき、「歴史の分岐点は本当に紙一重だったんだな」と背筋がひやりとしました。

実は他にも候補地があった

候補都市はほかにもありました。九州の陸軍造兵廠を抱えていた小倉、港湾都市の新潟、そして航空機産業の拠点だった横浜。特に横浜は目標検討中の1945年5月に通常爆撃で壊滅状態になってしまい、早い段階でリストから外れています。私はこれを知って、「候補が絞られていく過程そのものが、当時の戦況の生々しい記録なんだな」と感じました。

なぜ広島の3日後に長崎だったのか、「人体実験説」の真相は

B29爆撃機が小倉上空の雲を見下ろすイラスト

本来の目標は長崎じゃなく小倉だった

1945年8月9日、実は最初の目標は小倉でした。しかし前日の八幡空襲の煙が風に流されて小倉上空を覆い、目視投下が絶対条件だったため3度試みても目標を視認できなかったそうです。しかも搭乗機は燃料ポンプの故障を抱えたまま出撃していました。高射砲の攻撃が激しくなり燃料も限界に近づいたことから、急遽、第二目標の長崎へ変更されたんです。

前倒しされた投下日と、ソ連参戦のタイミング

長崎への投下は本来8月11日頃の予定でしたが、悪天候の予報を受けて8月9日に前倒しされました。ちょうどその前日の深夜、ソ連が対日参戦を発表。「ソ連の影響力が日本に及ぶ前に一刻も早く決着をつけたい」というアメリカ側の焦りが、投下タイミングを早めた一因になったと言われています。3日という短い間隔の裏に、こんな切迫した事情があったとは知りませんでした。

威力が高いのに死者数が少なかった長崎の地形

「ファットマンの方が威力が高いのに、なぜ広島の方が死者数が多いんだろう」と私も最初は不思議でした。答えは地形にありました。広島は太田川のデルタ地帯に広がる平坦な三角州だったため、高度約600mでの爆発の爆風と熱線が同心円状に広範囲へ及び、強烈な火災旋風まで引き起こしました。一方の長崎は山に囲まれた谷間の浦上地区に投下されたため、爆風が山で遮られ市街地全域の壊滅は避けられたそうです。広島の死者数が約14万人、長崎が約7万〜8万人という差の背景に、こんな地理的な事情があったとは知りませんでした。

「2種類使われたのは人体実験のため」という説は本当か

ネットでよく見かける「2種類の爆弾の効果を比較するための人体実験だった」という説。調べてみると、2種類が使われた一次的な理由は「技術的・生産的な制約から並行開発せざるを得ず、完成したものを順に投入する方針だったから」であり、最初から実験比較のために意図して作り分けたわけではないというのが史実に近いようです。とはいえ、投下と同時に爆風・熱線・放射線を計測する観測機器を投下し、随伴機で詳細な撮影を行っていたのも事実。終戦後にはABCC(原爆傷害調査委員会、現在の放射線影響研究所)が設置され、治療を行わずデータ収集を優先する姿勢が、被爆者の間に「モルモットにされた」という深い不信感を残しました。「人体実験そのものが目的」ではなかったにせよ、「実戦を通じてデータを最大限活用しようとした意図」は確かにあった、というのが実態のようです。

日本側の科学者もすぐに正体を突き止めていた

これも意外だったのですが、日本側は「新型爆弾」の正体をかなり早い段階で突き止めていたそうです。広島投下の2日後には理化学研究所の仁科芳雄博士の調査団が現地入りし、残留放射線の測定などからウランを使った兵器であると断定。長崎にも京都大学の荒勝文策博士らの調査団が入り、土壌サンプルの分析を行っています。戦時中の日本も独自に核開発を進めていたため、物理学者たちには理論的な土台があったんですね。ただ、戦局の崩壊と通信網の寸断で、その情報が軍上層部の戦略判断に組み込まれる余裕はほとんどなかったようです。「知っていたのに、活かせなかった」という状況に、当時の混乱の深さを感じました。情報を持っていても、それを届ける仕組みそのものが崩壊していたら意味がない。今の時代なら瞬時に共有できる情報が、当時はどれほど貴重で、そしてどれほど脆かったのかを考えさせられました。

終戦直後は写真も記事も厳しく制限されていた

もう一つ驚いたのが、終戦直後のGHQによる報道統制(プレスコード)です。被爆の惨状を伝える写真や記事の公開が厳しく制限され、私たち日本人が原爆の実態を詳しく知ることができるようになったのは、実はかなり後になってからだったそうです。当時の情報がどれだけ限られていたかを知ると、今こうして自由に一次資料を調べられること自体、ありがたいことなんだと思いました。

開発した科学者たちも揺れていた

原爆を作った科学者たち自身、複雑な思いを抱えていたことも知りました。ロスアラモス研究所の所長オッペンハイマーは、投下後にトルーマン大統領との面会で「私の手には血が塗られています」と後悔を口にしたそうです。一方、マンハッタン計画のきっかけを作ったレオ・シラードは、ドイツ降伏後には都市への無警告使用に強く反対する請願書を提出していました。私はこのエピソードを読んで、開発した本人たちの中にも「これでよかったのか」という葛藤があったんだと知り、単純な善悪では割り切れない重さを感じました。

ドイツの潜水艦から原料が渡っていた説も

少し脱線しますが、調べていて驚いた小ネタも共有します。1945年4月、ドイツから日本へ向けて出航した潜水艦「U-234」には約560kgの酸化ウランが積まれていたそうです。しかし途中でドイツが降伏し、艦長は米軍への投降を選択。押収されたウランはマンハッタン計画の施設に送られ、皮肉にもアメリカの原爆材料に流用された可能性があると言われています。もし日独の連携がうまくいっていたら歴史はどう変わっていたのか、想像すると不思議な気持ちになりました。

アメリカ国内でも展示をめぐる大きな論争があった

実はアメリカ国内でも、原爆の展示方法をめぐって激しい論争がありました。1995年、スミソニアン航空宇宙博物館が被爆の実態を伝える特別展を企画したところ、退役軍人団体などから猛烈な抗議を受け、展示内容が大幅に変更されてしまったそうです。被害を伝える側にも、正当化したい側にも、それぞれの立場からの強い思いがあるんだと知り、原爆というテーマの重さを改めて感じました。

私は今回調べるまで、広島と長崎の資料館も「同じような展示なんだろう」と思い込んでいました。でも広島平和記念資料館は個人の遺品を通じた人道的な視点、長崎原爆資料館は技術的・国際情勢的な背景も含めた展示、という違いがあるそうです。成り立ちも被害の広がり方も違う2つの爆弾だったと知ると、両方の資料館をこの目で見比べてみたい気持ちが強くなりました。歴史は教科書の1行で終わらせるにはもったいない、たくさんの分岐点でできていると実感した調査でした。

よくある質問

広島 長崎 原爆 違いを調べる女性の驚いた表情、資料に見入るシーン

Q. 広島と長崎に落とされた原爆、種類は何が違うんですか?

広島は高濃縮ウランを使った「ガンバレル型」のリトルボーイ、長崎はプルトニウムを使った「爆縮型」のファットマンです。燃料も起爆の仕組みも全く別物でした。

Q. なぜ最初から同じ爆弾を2発作らなかったんですか?

プルトニウムには不純物の影響でガンバレル型が使えないという技術的な制約があり、ウランは生産に膨大な時間がかかるという制約がありました。両方の弱点を補い合うため、並行して開発せざるを得なかったんです。

Q. なぜ長崎は最初から投下目標だったわけじゃないんですか?

最有力候補だった京都が政治的な配慮で除外され、その代わりに土壇場で長崎が候補に追加されました。

Q. 8月9日、なぜ本来の目標地だった小倉ではなく長崎に投下されたんですか?

前日の空襲の煙で小倉の視界が悪く、目視投下できなかったためです。燃料も限界に近づいており、急遽第二目標の長崎に変更されました。

Q. なぜ広島から3日しか間隔を空けずに長崎に投下されたんですか?

長崎への投下は本来もう少し後の予定でしたが、悪天候の予報を受けて前倒しされました。ちょうど同じタイミングでソ連が対日参戦し、早期に決着をつけたいという焦りも重なったと言われています。

Q. 長崎の方が威力が高いのに、なぜ死者数は広島より少ないんですか?

広島は平坦な三角州で爆風と熱線が広範囲に広がったのに対し、長崎は山に囲まれた谷間に投下されたため、爆風の範囲が地形によって抑えられたためです。

Q. 「人体実験だった」という説は本当ですか?

2種類が使われた一次的な理由は実験比較ではなく、技術的な制約による並行開発の結果です。ただし投下後にデータ収集を優先した調査が行われたのは事実で、これが不信感につながりました。

Q. もし日本が降伏しなかったら、3発目の原爆はあったんですか?

はい。第3のプルトニウムコアはすでに用意されており、8月19日頃に投下される計画が進んでいたとされています。降伏によって投下は中止されました。

Q. 日本側は原爆の種類の違いにすぐ気づいていたんですか?

はい。投下直後に理化学研究所や京都大学の調査団が現地入りし、放射線の測定などから新型爆弾であることを早い段階で特定していたと言われています。

Q. 広島と長崎の資料館は展示内容に違いがありますか?

はい。広島平和記念資料館は個人の遺品を通じた人道的な視点、長崎原爆資料館は技術的・国際情勢的な背景も含めた展示という違いがあるそうです。

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参考・出典

  • Wikipedia「Manhattan Project」
    https://en.wikipedia.org/wiki/Manhattan_Project
  • Wikipedia「Fat Man」
    https://en.wikipedia.org/wiki/Fat_Man
  • Wikipedia「Little Boy」
    https://en.wikipedia.org/wiki/Little_Boy
  • Wikipedia「Atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki」
    https://en.wikipedia.org/wiki/Atomic_bombings_of_Hiroshima_and_Nagasaki
  • Wikipedia「Debate over the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki」
    https://en.wikipedia.org/wiki/Debate_over_the_atomic_bombings_of_Hiroshima_and_Nagasaki
  • Harry S. Truman Presidential Library & Museum「The Decision to Drop the Atomic Bomb」
    https://www.trumanlibrary.gov/education/presidential-inquiries/decision-drop-atomic-bomb
  • ガル・アルペロビッツ『原爆外交』(修正主義説の代表的著作・書誌情報のみ)
  • 長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』(複合要因説の代表的著作・書誌情報のみ)

※本記事の情報は執筆時点の歴史研究・公開資料に基づく整理であり、学説には現在も議論があります。内容は今後の研究により更新される可能性があります。

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